大学の同級生である親友がmixiの日記に「暫くお暇します」とタイトルつけて
長い時間を一緒に過ごしたし、僕の青春の大部分をしめるサッカーについての経験の重要な部分を共有していた人
が死んだ、と書いていた。その死自体の記述はそれ以上はなく。
いつも冷静かつジーニアスで楽しい彼が
自分も死んでしまったような気持ち。わからない。
と書いているところから、相当大きなショックだったことが伺える。
彼がサッカーを一緒にした、ということで中・高校生時代の友達かな、などと推測する以上にbmができることはなかった。
直接知らない"親友の親友"に無責任に冥福を祈ることなんて出来ない。
と、思っていた。
それから約半日後の今、仕事の区切りにblog友のshingoさんのblogを読んだら
ご冥福をお祈りします。
人の想像しうることはすべて起こりうることだが、
ここまでくると、911テロと同じでどう防げばよいかがわからない。
ある意味、あのテロよりももっと。
というエントリが。
いつもメッセンジャにonlineしている彼が日記タイトルの通り今日は珍しくずっとofflineなので確認のしようがないが、学校や期を見るに、また直感から親友が言っている「死」はこの事故を指しているのだ、と勝手に確信してしまった。ブラウズをつづけると、それを裏付けるように見える記事が沢山でてくる。
なんてことだ。
気づいてしまったがために、遠方の事故記事がこんなにリアリスティックをもって襲いかかってくるなんて。気づかなければ、「すぐに忘れ去られる地方の小さなニュース」だったのに。
親友のショックもさらに身に迫ってくる。
あっちとこっちが有無を言う間もなくつながっていってしまうこの気持ち悪さから逃れるには仙人になってこの社会を捨ててしまうしかないのだろう。
