ありのままに。
知り合いの家にお呼ばれしてお留守番している間に、新聞読書。
bm、下宿には新聞を取っていないので新聞を広げる動作がなんだか久しぶり。

見開きで、尼崎の鉄道事故の犠牲者(全員、かな?)の顔写真とか人となりとか将来の夢とかが紹介されている。
中には2段ぐらい使って、中には2人セットで2行くらいで。
いかに今回の事故が尊い命を奪ったのか、という視点で見開きが埋め尽くされている。
もし、 bmがサリン中毒死でも電車事故でも戦死でもしたときは、 書くのなら美化せずにそのまんま書いてほしい。
「ついに勉強というものを経験せずに一生を終えた貧乏性の童顔・童脳」
くらいに書いてあればbmを知っている人はみなうなずいてくれるだろう。
「将来有望なワカモノだったのに」
みたいな誰も思っていないようなことは絶対書いてほしくない。死んでなお歯が浮いてしまうから。
葬式の挨拶もしかり。
もちろん、(書くとしたら)美化して書くのは記事を記事として、挨拶を挨拶として成り立たせるための表現手法であって決してbmのためではない、なんてことはわかっているけれど。それでもやっぱりbmは生きているときの存在感のまま、静かに皆の記憶から消えていきたいと思うのだ。
なんて書くと自己嫌悪の固まりのじめじめしたやつ、と思われるかなぁ。
でも、そういうことではないのだ。
ダメダメ君もダメダメ君なりのせめてものアイデンティティとキャラクタは守りたいのだ。

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