![]() | シリコンバレーから将棋を観る -羽生善治と現代 梅田望夫 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
梅田氏のサバティカル明けの新刊。
彼の趣味が将棋であることはそこかしこで自ら書いているのでタイトルに違和感はない。
半年間の充電の後、将棋というメタファを使って何を言うのだろう、と期待して読んだ。
その思いは中頃で裏切られた。
将棋はメタファでなく限りなく主題だった。
お決まりのIT高速道路論も出てはくるが。
bmは将棋を指せない。
駒の動き方は雑学的に知っているそれ以上のことは全く知らない。
囲碁も同様。
1五歩、などその筋の表記がボコボコと出てきてbmの理解を妨げる。
読み飛ばして良いのだろうか。
この「1五歩」が後から効いてくるのだろうか、と。
結局どんどん読み飛ばしたのだけれど。
オビには
たとえルールが
分からなくても
「観る」おもしろさを
知っている
すべての人に。
と書かれている。
本書内でもとにかく観る人の裾野を広げる姿勢を強調している。
ルールが分からなくても観て面白いなんてことがあるのだろうか。
bmはスポーツ観戦もほとんどしない。
野球とサッカーのルールはそこらを歩いているオネーチャンのレベルならわかるが、ラグビーは全く分からない。ペアプログラミングも試してみたが、出るのは感嘆よりあくびだった。
「観る」おもしろさ、を知らない方かも知れない。
でも、美しく刈られた芝生の上をビルドされた肉体が走り回る姿は観ていて面白そうだと想像がつくが、ルールの分からないのに(つまりランダムに)駒を前後に動くのを観て、面白いのだろうか。
定石の強さ、そこに攻め入る美しさ、を感じ取ることができるのだろうか。
残念ながらそこを読み解けなかった。
それにしても、佐藤・羽生の両氏が現代将棋を導入するまでの
しかし羽生が問題視していたのは、将棋界に存在していた、日本の村社会にも共通する、独自の年功を重んずる伝統や暗黙のリールが、盤上の自由を妨げていたことだった。
「将棋の第一人者たるもの、少なくとも若いうちは居飛車党の正統派でなければならない、歴代の名人は皆そうだった」「名人戦のような大舞台では、将棋の純文学たる矢倉をさすべきだ」「大舞台で先手を持って大先輩棋士を相手に飛車を振るなんて」などなど。
というのは衝撃的だった。
それは競技それぞれに伝統やカルチャはあるだろうけれど、それは勝負の外の話でしょう、と思っていた。勝負の中にまで年功序列を持ち込んで若者を押さえつけるなんて。それが勝負なのだろうか、と。半ばデキレースじゃないか、と。
「最近のワカモノ」がそれをやっと壊した、情報化がそれをサポートした、というのはなかなか興味深い。極めた人におぼろげに見えてくる、そして俗に言う「○○の向こう側にあるもの」が再定義されて伝わってくる(らしい、ルールが分かる人には。)という。
これを読むと人間もどんどんと進化しているのだ、と。
記憶の外部化が許されるようになる一方で、処理能力がじゃんじゃん上がっていっているようだ。
1年間に生み出される「せいぜい2000局」のすべての局面とそこからの可能性を処理して理解していくというのはものすごいな、と思う。
この本で最も面白かったのは、
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これとの並べ読みだった。
著者にも全然つながりがないし、たまたま、本当にたまたまこのタイミングで発売されたから続けて読んだのだが、まるで両書はお互い同士を補完するかのような2冊だった。
その辺の内容は、リファクタリング・ウェットウェア の書評にでも。(書くかどうかは未定。)



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