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2010.02.13 19:20

ネットとリアルのあいだ

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仕事が多いので現実逃避にiPhone置き去りでカフェに待避。

4480688250ネットとリアルのあいだ―生きるための情報学 (ちくまプリマー新書)
筑摩書房 2009-12

by G-Tools

この本は3章構成の2章後半と3章だけ読めばよい。1章は退屈。

秋葉原無差別殺傷事件とセカンドライフ(笑)を題材にした導入から始まる。
導入部分は良くあるIT社会悲観論がやや極端な口調で進むだけなので読み飛ばす方向で。

産業革命で工場がそのまま1つの機械となり、ヒトが歯車になった。
IT革命によってで世界が大きな一つの機械(メガマシン)となり、歯車たるヒトが逃げる場所を失った。

2章では、オートポイエーシスとクオリアを題材に、知の身体性・感情の身体性をベースに21世紀のサイバネティクスを説く。

知・心が脳だけでなく身体と結びついていること、しかし、時によっては言葉というツールによって左脳がその身体のシミュレーションを行い、身体をバイパスすることができる(だからこそ、他人の)こと、それが他人への共感をはぐくむ

と。

「怖い」から脚が震えるのではなく、まず全身の身体的反応があり、その結果を「怖い」と言語的に表現しているのである。
前述の通り、「感情」とは、身体の状態を脳でモニターすることから生まれる物である。その意味では、内蔵や皮膚、筋肉骨格と言った身体と脳を結ぶ回路がたたれれば、感情はない。しかし、ある場合には、身体をバイパスし、身体からの信号を脳内のシミュレーションによって代用することも可能なのである。このとき、感情は純粋に脳内の出来事となってしまうのだ。
ただしこういった「脳内シミュレーション」による感情が、身体をベースにした本来の感情とは別次元にあることは認めなくてはならない。ダマシオが指摘するように、それはいわば「再放送」であって「生放送」ではない。
近年の米国における解離性人格障害(多重人格)の多発は、こういった言語的自己や自我意識と深く関連しているのではないか。身体不在のアバターが走り回るMUD仮想空間はその傾向を助長する。

だから、ITは逆に、身体性の回復のために用いられなくてはならないのだ身体感覚を鋭くモニターし、右脳を活性化するITが求められるのである。

そして3章ではコンピュータを
思考する機械を理想としていた(そして大失敗した)メインフレームコンピュータやその後のスパコンなど大型のコンピュータをType1、
パソコン・ワークステーション(この両者は本書内でどう区別されているのかは不明)など、ヒューマンインタフェースとしてヒトの活動を直接的にサポートする小型のコンピュータをType2、
そして論理編中主義に立脚したそれら2つから離れて"生命情報を基軸にした情報学的転回"のツールたるType3
の3つに分類してType3がどのような物になるべきか、と言うのが本書の主題。

ITをうまく活用して、未開拓の身体感覚を探っていき、トータルな生存能力を高めていくというのは、サイバネティックスの戦略である。

21世紀と書くと未来のようだが、もう10年は終わったんだなぁ、と(本書の内容と関係なく)気づく。

  
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